J-PARC 放射線管理年報(2011 年度)
引用
2011 年 3 月 11 日に発生した東日本大震災により、J-PARCは激しい揺れ(東海村:震度 6 弱)と大きな地盤沈下(1m以上の沈下箇所が多数)に見舞われ、負傷者や放射線トラブルはなかったものの、一部の建家、ユーティリティ設備及び周辺インフラ等に大きな被害を受けた。




震災直後は、復旧には年単位の期間を要するものと思われ、早期のビーム運転再開はとても不可能と判断される状況だった。
しかし、その後の調査で、幸いにして加速器本体の損傷が軽微であったことが判明し、安全確保を大前提とした上で、
年度内の供用運転再開を目指してJ-PARCセンター全体で復旧作業に全力を挙げることとなった。
このような状況の中、放射線安全管理業務においても、通常の管理業務に加え、震災復旧及び東京電力福島第 1 原子力発電所事故(福島第 1 原発事故)の影響への対応を重点項目として取組んだ。
そして、関係者の努力の結果、2011 年 12 月 9 日にビーム調整試験を開始し、2012 年 1 月 24 日には施設供用運転再開に漕ぎつけることができた。
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震度6で原発は壊れましたが、加速器は無事だったのですか?
再開を急いで細かいところには目をつぶって慌てて急ぎすぎて今回の事故が起こったのではないですか?
加速器の穴をガムテープで張って補修するようなことはなかったですか?
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中性子線量が上がっていますがこれはフクイチが原因ですか?あなたが地震で漏らしたのですか?

ガンマー線量が上がっていますがこれは年間の積算を計算すると、なんと約8ミリシーベルトにもなりますが、茨城県東海村は全体がこれぐらいあったのですか?2011年は。
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2011年度に採取した雨水中3H濃度は、5月と11月に採取した試料の濃度が通常の値より高く、その後、地下水中濃度もある程度の相関を持って上昇する傾向が認められた。その理由は、当該月に物質・生命科学実験施設の排気筒から比較的大きな3Hの放出があり、降雨によるウォシュアウトとして雨水及び地下水に移行したものと考えられる。2011年度の雨水中の3H濃度を図3.2-2に、2010年度及び2011年度の地下水中の3H濃度を図3.2-3に示す。

J-PARCの施設からトリチウムを漏らしたと白状されていますが、そういうことは、度々、いつも、毎日、日常茶飯事、朝飯前、晩御飯後、眠っている間も、いつもいつもよくあることなのですか?
茨城県民は「そんなの常識」というぐらい知っていたのですか?九州の田舎者の私はビックリ仰天なのですが。

おお、やはり私が思ったとおり、中性子線エリアモニターは完備されていたのですね、ならばどうしてガンマ線エリアモニタが10倍に上がったとだけ言って、中性子の話はしなかったのですか?
これはJCO事故と同じ、中性子線漏れじゃないのか?「原子力機構J-PARCハドロン実験施設事故」
引用

放射線発生装置故障等報告書
引用
5 月 23 日 13 時 30 分頃、ハドロン実験ホール内のガンマ線エリアモニタの指示値が通常運転時の約 10 倍(4μSv/時)に上昇していることを確認した。

放射能漏れ:電磁石の故障が原因か 被ばく6人に
引用 毎日
一部が金属製のパイプや遮蔽(しゃへい)材を突き抜けて実験室内を汚染した。
突き抜けるのは電荷を持たない中性子のことじゃないのですか?
頭のよい人たちは私のような田舎者のアホな心配性の人間にやさしく教えてください、お願いします。
ツイッターから(この人ドイツの研究所に行った人)
僕が今いる研究所で自分のプロジェクトの実験を2009年にした時には警報が鳴りビームが止まりました。その際に我々物理学者は何も判断をすることができず。すぐに放射能防護の専門家が調べて対処しました。中性子が大量に発生したので、エリアは立ち入り禁止になり、実験は中断になりました。
引用
2011 年 3 月 11 日に発生した東日本大震災により、J-PARCは激しい揺れ(東海村:震度 6 弱)と大きな地盤沈下(1m以上の沈下箇所が多数)に見舞われ、負傷者や放射線トラブルはなかったものの、一部の建家、ユーティリティ設備及び周辺インフラ等に大きな被害を受けた。




震災直後は、復旧には年単位の期間を要するものと思われ、早期のビーム運転再開はとても不可能と判断される状況だった。
しかし、その後の調査で、幸いにして加速器本体の損傷が軽微であったことが判明し、安全確保を大前提とした上で、
年度内の供用運転再開を目指してJ-PARCセンター全体で復旧作業に全力を挙げることとなった。
このような状況の中、放射線安全管理業務においても、通常の管理業務に加え、震災復旧及び東京電力福島第 1 原子力発電所事故(福島第 1 原発事故)の影響への対応を重点項目として取組んだ。
そして、関係者の努力の結果、2011 年 12 月 9 日にビーム調整試験を開始し、2012 年 1 月 24 日には施設供用運転再開に漕ぎつけることができた。
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震度6で原発は壊れましたが、加速器は無事だったのですか?
再開を急いで細かいところには目をつぶって慌てて急ぎすぎて今回の事故が起こったのではないですか?
加速器の穴をガムテープで張って補修するようなことはなかったですか?
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中性子線量が上がっていますがこれはフクイチが原因ですか?あなたが地震で漏らしたのですか?

ガンマー線量が上がっていますがこれは年間の積算を計算すると、なんと約8ミリシーベルトにもなりますが、茨城県東海村は全体がこれぐらいあったのですか?2011年は。
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2011年度に採取した雨水中3H濃度は、5月と11月に採取した試料の濃度が通常の値より高く、その後、地下水中濃度もある程度の相関を持って上昇する傾向が認められた。その理由は、当該月に物質・生命科学実験施設の排気筒から比較的大きな3Hの放出があり、降雨によるウォシュアウトとして雨水及び地下水に移行したものと考えられる。2011年度の雨水中の3H濃度を図3.2-2に、2010年度及び2011年度の地下水中の3H濃度を図3.2-3に示す。

J-PARCの施設からトリチウムを漏らしたと白状されていますが、そういうことは、度々、いつも、毎日、日常茶飯事、朝飯前、晩御飯後、眠っている間も、いつもいつもよくあることなのですか?
茨城県民は「そんなの常識」というぐらい知っていたのですか?九州の田舎者の私はビックリ仰天なのですが。

おお、やはり私が思ったとおり、中性子線エリアモニターは完備されていたのですね、ならばどうしてガンマ線エリアモニタが10倍に上がったとだけ言って、中性子の話はしなかったのですか?
これはJCO事故と同じ、中性子線漏れじゃないのか?「原子力機構J-PARCハドロン実験施設事故」
引用

放射線発生装置故障等報告書
引用
5 月 23 日 13 時 30 分頃、ハドロン実験ホール内のガンマ線エリアモニタの指示値が通常運転時の約 10 倍(4μSv/時)に上昇していることを確認した。

放射能漏れ:電磁石の故障が原因か 被ばく6人に
引用 毎日
一部が金属製のパイプや遮蔽(しゃへい)材を突き抜けて実験室内を汚染した。
突き抜けるのは電荷を持たない中性子のことじゃないのですか?
頭のよい人たちは私のような田舎者のアホな心配性の人間にやさしく教えてください、お願いします。
ツイッターから(この人ドイツの研究所に行った人)
僕が今いる研究所で自分のプロジェクトの実験を2009年にした時には警報が鳴りビームが止まりました。その際に我々物理学者は何も判断をすることができず。すぐに放射能防護の専門家が調べて対処しました。中性子が大量に発生したので、エリアは立ち入り禁止になり、実験は中断になりました。
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