プロジェクトX 挑戦者たち チェルノブイリの傷 奇跡のメス
「プロジェクトX 挑戦者たち チェルノブイリの傷 奇跡のメス」
1986年4月26日。旧ソ連ウクライナで人類史上最悪の事故が発生した。チェルノブイリ原子力発電所4号炉の爆発。大量の放射性物質が発生、その多くが風下に位置したベラルーシに流れ、間もなく悲劇が始まった。子供たちに甲状腺ガンが多発し始めたのである。現地の病院で手術を受けた子供たちの首筋には、一生消えない大きな傷がついた。その時、一人の日本人医師が立ち上がった。信州大学医学部の外科医、菅谷昭。父は、夜の往診も厭わない町医者。もっと患者と向き合いたい、そんな思いを抱き続けていた菅谷は、大学教授の座を辞し、ベラルーシに渡ることを決意する。ベラルーシでの菅谷のたった一人での闘いが始まった。やがて菅谷の高い手術技術や、患者との交流に心打たれていく若い現地医師たち。いつしか菅谷のアパートに集まり、勉強会が開かれるようになった。菅谷は、彼らに自分の手術技術の全てを伝えた。さらに菅谷は、手術後もガン再発の不安を抱える患者達の家を一軒一軒訪ね、診察を繰り返した。脳裏には父の姿がよぎっていた。そんな菅谷の活動に共感し、菅谷を支えようと奮闘する一人の男がいた。28歳の若手医師、ゲンナジー・トゥールだった。二人は訪問診療を黙々と続けていた。やがて菅谷たちの努力は、ある一つの奇跡を産んだ・・・。人類史上最悪の事故と対峙した、日本人医師と現地の医師たちの5年半に及ぶ闘いを描く。
市長記者会見2012年8月7日[動画版・テキスト版]
引用
私自身、7月22日から29日にかけてチェルノブイリ原子力発電所の事故の影響によるところの現況調査、汚染地ベラルーシで、また新しい情報の入手ということで出かけてまいりました。いつも申し上げるように往復で4日間ですが実質的には3日半という強行軍でしたが、今回はいうなれば30キロゾーンと同じホットスポットエリアにも行ってきました。
そのとき同時に、「国家非常事態省」というチェルノブイリ事故の後で中央政府が非常事態省を作ったと思いますけれども、そこのお役人さんがいっしょに付いてくれて、高度汚染地を回ったり、あるいはまた、保健省の州の局長さんともいろんな話をさせてもらうとか、一番高度汚染州、ゴメリ州ですけれども。あるいは、国家機関の医療者とも話をさせてもらいました。
26年経過しておりますけれども被災地におけるベラルーシ共和国の汚染地を含めて、チェルノブイリの事故の影響というのは残念ながら今も終わっていないということを実感してまいりました。
そういう意味では、福島の場合に、そのまま当てはまるわけではないですけれども、今後長期に見ていかないといけないのかなと改めて思った次第です。今回の向こうで得た情報を、少しでも福島に生かせたらいいなと思っています。
30キロゾーンと同じ高度の汚染地、今も強制退去のエリアですが、そこはホットスポットのエリアも同じふうに汚染されています。やはりある村では相変わらず戻ってこられません。
私どもも、行ったのですが視察も終わったり質問が終わった時に「早く出ましょう」と気を使って言われたのですが、国の非常事態省の人が。今そこがもともと500世帯あったのですが5世帯戻ってきて、みんな老父夫婦だけですが。そこに対しては戻ってきたいということなので、それ以上規制できないということです。ただし週に一回は巡回販売で日用品を販売に回っているということで、とても素晴らしい所ですが、ひとたび原子力災害で汚染されるとああいう状況になるのかとか。
私も、これまで言ってきましたが「除染というのはそんな簡単なものではない」と話をしてくれました。
私も言ってきましたが全くそのとおりです。日本でも除染を一生懸命していますけれども、やらないよりやった方がいいのですが、過度に期待することはやはり問題があるということですね。
やはり向こうで最初に言うのは「汚染されている所で、まずやることは除染もそうだが、子ども達を避難させることが第一です」ということは、皆さん共通したご意見です。
わたしがずっと申し上げているのは、福島の場合でも国策として一度は子どもさん達をどこかに避難させることを考えて、その間にいろいろ対応することが必要だなと言ってきました。
私自身も現地で5年半の生活をしていれば経験したことを話させていただいたことは間違っていなかったわけですし。また現在、軽度の汚染地に住んでいる子ども達の親達にあって話しますが、今もって体調の例えば免疫機能が落ちているとか非常に疲れやすいとかいろいろな問題があります。
その子ども達は大体中学生の12~13歳ですから事故は26年前に起きているから生まれていないわけですね。にも関わらずいまそこに住んでいる子ども達がそういう状況があるということで。
ただし、いつも言うのですが、これは本当にそこに住んでいることで被曝の影響か言えないのです。「サイエンティフィック(学術的)」に「科学的」にそういう「エビデンス(証拠)」が無いものですから。これはまだまだ時間がかかります。
しかし「事実」として「ファクト」としてこういうことがありますよということを、我々は福島の場合でも参考にしていく必要があるのかなと思っています。
ただ、ご承知のとおり日本の政府機関、行政機関の対応とか認識は少しひどすぎるというのが私の思いであります。
除染にあれだけ相当のお金をかけるのであれば、もう少し違う対応をして打っていかないと、二つに分けて、除染は必要だけれども一方で「子ども」「妊産婦」に対してはもう少しきちっとしていかないと、野田内閣は大変なことになりますよとずっと前から言っているのですが。
現実にはいろんな国民の動きもだんだんかまびすしくなっておりますけれども。今回、思い切って行ってみて良かったなと思っています。
--------------------------------------

去年までは菅谷さんは何かに遠慮して「避難しろ」とまでは言っていなかった、「子供たちだけでも避難した方がいいのだが」というニュアンスだった。「私に聞かないでください、自分で判断して下さい」と言っていた。
しかし今年になって、強めに、行政のトップの立場を忘れて、「避難させた方がいい、避難して欲しい」と再三に渡って発言し出した。
現実を理解できない人が多すぎるのに我慢できなくなったのだろう。
菅谷さんのランキングが低すぎるから、福島の子供たちが疎開避難できないのだ。
避難を強硬に発言しない人には、投票をするんじゃないぞ!
すべてはその一点にかかっている。
甲状腺がんが発症してきたのだ。
時間はないぞ!!!!!
「プロジェクトX 挑戦者たち チェルノブイリの傷 奇跡のメス」
1986年4月26日。旧ソ連ウクライナで人類史上最悪の事故が発生した。チェルノブイリ原子力発電所4号炉の爆発。大量の放射性物質が発生、その多くが風下に位置したベラルーシに流れ、間もなく悲劇が始まった。子供たちに甲状腺ガンが多発し始めたのである。現地の病院で手術を受けた子供たちの首筋には、一生消えない大きな傷がついた。その時、一人の日本人医師が立ち上がった。信州大学医学部の外科医、菅谷昭。父は、夜の往診も厭わない町医者。もっと患者と向き合いたい、そんな思いを抱き続けていた菅谷は、大学教授の座を辞し、ベラルーシに渡ることを決意する。ベラルーシでの菅谷のたった一人での闘いが始まった。やがて菅谷の高い手術技術や、患者との交流に心打たれていく若い現地医師たち。いつしか菅谷のアパートに集まり、勉強会が開かれるようになった。菅谷は、彼らに自分の手術技術の全てを伝えた。さらに菅谷は、手術後もガン再発の不安を抱える患者達の家を一軒一軒訪ね、診察を繰り返した。脳裏には父の姿がよぎっていた。そんな菅谷の活動に共感し、菅谷を支えようと奮闘する一人の男がいた。28歳の若手医師、ゲンナジー・トゥールだった。二人は訪問診療を黙々と続けていた。やがて菅谷たちの努力は、ある一つの奇跡を産んだ・・・。人類史上最悪の事故と対峙した、日本人医師と現地の医師たちの5年半に及ぶ闘いを描く。
市長記者会見2012年8月7日[動画版・テキスト版]
引用
私自身、7月22日から29日にかけてチェルノブイリ原子力発電所の事故の影響によるところの現況調査、汚染地ベラルーシで、また新しい情報の入手ということで出かけてまいりました。いつも申し上げるように往復で4日間ですが実質的には3日半という強行軍でしたが、今回はいうなれば30キロゾーンと同じホットスポットエリアにも行ってきました。
そのとき同時に、「国家非常事態省」というチェルノブイリ事故の後で中央政府が非常事態省を作ったと思いますけれども、そこのお役人さんがいっしょに付いてくれて、高度汚染地を回ったり、あるいはまた、保健省の州の局長さんともいろんな話をさせてもらうとか、一番高度汚染州、ゴメリ州ですけれども。あるいは、国家機関の医療者とも話をさせてもらいました。
26年経過しておりますけれども被災地におけるベラルーシ共和国の汚染地を含めて、チェルノブイリの事故の影響というのは残念ながら今も終わっていないということを実感してまいりました。
そういう意味では、福島の場合に、そのまま当てはまるわけではないですけれども、今後長期に見ていかないといけないのかなと改めて思った次第です。今回の向こうで得た情報を、少しでも福島に生かせたらいいなと思っています。
30キロゾーンと同じ高度の汚染地、今も強制退去のエリアですが、そこはホットスポットのエリアも同じふうに汚染されています。やはりある村では相変わらず戻ってこられません。
私どもも、行ったのですが視察も終わったり質問が終わった時に「早く出ましょう」と気を使って言われたのですが、国の非常事態省の人が。今そこがもともと500世帯あったのですが5世帯戻ってきて、みんな老父夫婦だけですが。そこに対しては戻ってきたいということなので、それ以上規制できないということです。ただし週に一回は巡回販売で日用品を販売に回っているということで、とても素晴らしい所ですが、ひとたび原子力災害で汚染されるとああいう状況になるのかとか。
私も、これまで言ってきましたが「除染というのはそんな簡単なものではない」と話をしてくれました。
私も言ってきましたが全くそのとおりです。日本でも除染を一生懸命していますけれども、やらないよりやった方がいいのですが、過度に期待することはやはり問題があるということですね。
やはり向こうで最初に言うのは「汚染されている所で、まずやることは除染もそうだが、子ども達を避難させることが第一です」ということは、皆さん共通したご意見です。
わたしがずっと申し上げているのは、福島の場合でも国策として一度は子どもさん達をどこかに避難させることを考えて、その間にいろいろ対応することが必要だなと言ってきました。
私自身も現地で5年半の生活をしていれば経験したことを話させていただいたことは間違っていなかったわけですし。また現在、軽度の汚染地に住んでいる子ども達の親達にあって話しますが、今もって体調の例えば免疫機能が落ちているとか非常に疲れやすいとかいろいろな問題があります。
その子ども達は大体中学生の12~13歳ですから事故は26年前に起きているから生まれていないわけですね。にも関わらずいまそこに住んでいる子ども達がそういう状況があるということで。
ただし、いつも言うのですが、これは本当にそこに住んでいることで被曝の影響か言えないのです。「サイエンティフィック(学術的)」に「科学的」にそういう「エビデンス(証拠)」が無いものですから。これはまだまだ時間がかかります。
しかし「事実」として「ファクト」としてこういうことがありますよということを、我々は福島の場合でも参考にしていく必要があるのかなと思っています。
ただ、ご承知のとおり日本の政府機関、行政機関の対応とか認識は少しひどすぎるというのが私の思いであります。
除染にあれだけ相当のお金をかけるのであれば、もう少し違う対応をして打っていかないと、二つに分けて、除染は必要だけれども一方で「子ども」「妊産婦」に対してはもう少しきちっとしていかないと、野田内閣は大変なことになりますよとずっと前から言っているのですが。
現実にはいろんな国民の動きもだんだんかまびすしくなっておりますけれども。今回、思い切って行ってみて良かったなと思っています。
--------------------------------------

去年までは菅谷さんは何かに遠慮して「避難しろ」とまでは言っていなかった、「子供たちだけでも避難した方がいいのだが」というニュアンスだった。「私に聞かないでください、自分で判断して下さい」と言っていた。
しかし今年になって、強めに、行政のトップの立場を忘れて、「避難させた方がいい、避難して欲しい」と再三に渡って発言し出した。
現実を理解できない人が多すぎるのに我慢できなくなったのだろう。
菅谷さんのランキングが低すぎるから、福島の子供たちが疎開避難できないのだ。
避難を強硬に発言しない人には、投票をするんじゃないぞ!
すべてはその一点にかかっている。
甲状腺がんが発症してきたのだ。
時間はないぞ!!!!!
- 関連記事
-
- 現実が見えず、初動に弱い原子力関係者たち。 (2012/10/06)
- 危機感なき東電テレビ会議 (2012/10/05)
- もっとも現実をよく知る菅谷昭松本市長の声に耳を傾けよう!!! (2012/10/05)
- 「いま、被ばくの危険にさらされている福島県の子どもたちを直ちに集団避難させる」 (2012/10/05)
- 始めからわかっていた「原子力防災技術者が語る福島原発事故の深層」 (2012/10/04)
スポンサーサイト